『サライ』立秋特大号(2022年9号/小学館)

危険な暑さから逃れるために冷房の効いて客が少なそうな書店に入った。流れる汗を拭いながら店内を見渡すと、カラフルな表紙をした雑誌が目に飛び込んできた。デカデカと「日本漫画は大人の教養」と銘打っている『サライ』である。

 本誌を紹介する前に筆者のことを少し書いておきたい。筆者の母は貸本屋を営んでいた。当然のように漫画読み放題の毎日であった。もちろんタダである。

 ところで、筆者が漫画読みに明け暮れていた1960年代は漫画の評価は今のように高くはなかった。本誌に登場する精神科医の名越康文さんは、「漫画は世間から目の敵にされていました。〝有害〟扱いです。」(P.42)、思想家の内田樹さんは「両親は僕が漫画を読むことを好みませんでした」(p.56)と語っている。貸本屋の母も「漫画ばかり読んでないで勉強しなさい」が口癖であった。

 余談だが、当たり前のようにタダで読んでいた漫画に金を出すということが、親元を離れて以降筆者はできずにいた。それを一変させたのは、手塚作品でもつげ作品でもない、あだち充の『ショートプログラム』であった。

 話を戻そう。平ぺったい紙の上に描かれる絵と、狭いスペースのフキダシに書き込まれるセリフ、そして言葉を書き込まない絵で紡ぎ出す日本漫画が世界で受けている高い評価について掘り下げている『サライ』立秋特大号の特集を紹介しよう。

 本特集は「総論」「第1部」「第2部」「続・待場の漫画論」から構成されている。

 「総論」で、世界の漫画事情通の中将省平さん(学習院大学教授)が語っているのは、「なぜ『日本漫画』が世界的な祭典で表彰され続けているか」である。氏は、ヨーロッパ特にフランスで評価が高い理由として、「圧倒的な画力」に加え「物語が深く、教養も深い」と分析しつつ、日本人作家に共通する「自然への畏怖」もあげている。アメリカでは「『劇画』への評価が高」く「黒沢明映画の荒々しさに近いものを劇画から感じ取っている」という。

 「第1部」では「漫画家と作品の息吹に触れる旅」と銘打って、藤子不二雄A、水木しげる、さいとう・たかお、古谷三敏らの名作ゆかりの地を訪ねる特集となっている。それぞれの漫画家の作品の一場面や関係の写真を眺め、それを彩る文章を読んでいるとそこへ行きたくなるから不思議だ。

 「第2部」は「大人が嗜みたい漫画古今28選」だ。「大人」代表として精神科医の名越康文さん、講談師の神田白山さん、経済アナリストの森永卓郎さん、そして俳優の寺脇康文さんの4人が登場する。

 それぞれの嗜み方を伝授するのであるが、名越さんは「精神科医からみると、漫画の効用は、容易に『別世界』に行けることです。」と切り出す。学生時分に「学校に居場所がない」と感じ始めたという名越さんは、水木漫画に登場する「脱落者」に自分を重ねて「落ちこぼれでも居場所がある、というメッセージがある」とつかんだそうである。

 寺脇さんの嗜み方は「大人になると、どうしても頭がガチガチに固くなるでしょ? それを幼い頃の柔らかな頭に、漫画は戻してくれる」と話してくれる。「昔を思い出す。これ、若々しさを保つ秘訣かもしれないです」とも。

 「続・待場の漫画論」での内田樹さんはいつもながらの切れ味をみせている。どうやって日本漫画が世界に冠たる文化と産業となったのかをまとめている。そして次の言葉で結んでいる。少し長いが引用する。「現在、ほとんどの日本の産業が、さまざまな理由で海外勢との戦いに敗れ、危機的な状況に面しています。一方で、漫画の未来はまだまだ拓けています。技術革新の〝お手本〟ともいうべき存在です。危機に瀕している文化や産業の多くが、漫画の発展から学べることがあるように思います。」

 残りの夏、本屋へ行き買い込んでくるかな、日本漫画を。まずは友人から「まだ読んでないのか!」と言われた、音が流れ出し演奏者が見え出す漫画『BLUE GIANT』から…。

(貸本屋太郎)