本書は、カリスマ店長またはカリスマ書店員と呼ばれた人物を、〝追っかけ〟続けた二人が企画して実現させた2日間にわたる対談が中心の「本と出版」に関する本である。〝追っかけ〟られた人は対談の2か月後に急逝された。その人の名は、伊藤清彦さん。本書は、伊藤さんの「一周忌への追悼集」とある。盛岡市に本店のあるさわや書店で長年勤務され、人生の後半は一関市の公共図書館員へと転身された人である。
〝追っかけ〟た側の一人は対談の相手、内野安彦さん。長く公立図書館に勤務されていた方である。もう一人の〝追っかけ〟現役公立図書館員の石川靖子さんが司会進行を務めている。
『本屋と図書館の間にあるもの』、何とも興味を引くタイトルである。全部は紹介できないので、ホンの一部を切り取ってみる。
図書館用語で「複本」とは、同じ本が複数あること、又は複数冊購入する意味で使われる。数年前に出版社サイドから「図書館が本を貸すから本が売れない」とか「図書館は複本を減らし貸し出しを猶予すべき」といった声が上がり物議を醸したことを思えておいでだろう。書店に並んでいる・置いてある本は商品だが、同じ本を図書館では資料とよぶ。対談で複本問題について直接的な対応はない。
伊藤さんは地域資料あるいは地元の本にかんして「借りる人がいないなんて議論をしちゃ駄目ですよ。(中略)こういう本が出ていることを知らせる義務がある」と語り図書館の存在意義を押し出している。
内野さんは「図書館というのは本を貸すところではなくて、市民の方に本を届けるところだ」とレンタル屋ではないことを強調されている。石川さんは「出版されているのに、読者に届いていない本はたくさんあって、それらを図書館で揃えることで、利用者の増加につなげた」という例を出している。内野さんが図書館利用について、「図書館の財産は所蔵資料だけじゃない」、例えば「市民のミニカー展示の実践は(中略)コレクションに興味のある方が初めて図書館に来る。そして図書館を知る。そうして利用者を増やしていくことができる」と多くの人々が抱いている図書館のイメージからは遠い話をしているのが面白い。
「よい本屋の条件」にテーマが移ったとき、伊藤さんは「働いている男女のバランスがとれている店」と言い切る。それは男女のバランスであったり年齢であったり、さらに雇用の正規非正規についても話していることに合点がいく。これは図書館もいえることだ。
「書店と図書館の連携の可能性」というテーマで内野さんが「図書館員の倫理綱領」にある「出版文化の発展に寄与する」を引用しながら、図書館や管轄の役所の一部にある考え方に疑問を呈するかたちで「市民の読書環境の充実を図ることは図書館だけでできるのだろうか。本屋は絶対に必要」と問題提起している。
伊藤さんの出版社に対する目は厳しい。「出版文化で二度と戦争なんか起こさせるか、そういう思いがあった時代」と比べて「今の時代は視点がお金儲けの方に寄っちゃっている」と辛辣な批判を述べている。
書店が消えていく現状を憂えて、伊藤さんは言う。「図書館と書店は立場としては違うんだよ。役割が違うので、両方あるのが一番健全なんだけれども、(書店数の激減で)比重が図書館にかかるかな」「図書館が知の拠点にならざるを得ない」。
本書の第2部は『岩手日報』に連載された伊藤さんのエッセイである。酒豪だったという伊藤さんを偲びながら、熱燗とともにこの秋じっくり読んでみよう。
(本囲坊繋人)