要請に「従う」って、ナニ?

出版産業の話題に限定したことではないが、出版産業に身を置いていると、「言葉の使い方が気になる」と感じることに遭遇する人も多いと思う。

3か月前のことだが、緊急事態宣言が出され、政府や地方自治体の首長から、さまざまな「要請」が出された。この要請をめぐって、「要請に従わない」という言葉が、批判的なトーンで飛び交っていた。メディアの報道にも見られた。これが気になってしょうがなかった。

なぜ今ごろそのようなことを話題にするのかというと、7月に入って東京を中心に新型コロナウイルスの感染者が増えていることから、2度目の緊急事態宣言が出される可能性が話題に上ってきているからだ。緊急事態宣言下での「自粛」は、多くの人の生活の糧を奪った。そのことで困窮した人が大勢出たことを私たちは知った。感染しない、させないことは重要だが、生活できないことも重要だ。だから、「要請に従う、従わない」などという安易な尺度ではなく、各自がバランスを考えて判断し、行動すればよいのではないか。

自分の生活が成り立つのならば、「要請に応じる」「要請を受け入れる」ということが、自らの判断であってもよいかもしれない。しかし、自分の生活を犠牲にして、要請に従わなければならない理由はない。要請を受け入れてもらいたいのならば、要請する側がその条件を作るのが当然のことだ。

私たちは闘争期の取り組みで、国会議員要請を行うことがあるが、与党の議員が要請に従ったことがあっただろうか。そんな話、私は聞いたことがない。省庁の官僚が、労働者や市民の要請を受けて、応じたり受け入れたりすることすらないのに、国会議員が、ましてや政権与党の議員が要請に従うことなどあるわけがない。

でも、お上からの要請に対しては、なぜだろう、メディアさえも「従う」という言葉を安易に用いるのだ。これがこの国のメディアの実態を表しているのかもしれない。

少なくとも、文字や言葉で表現をする出版業界に関わる者として、私たちは行政の要請に対して、従うのではなく、また無批判に応じたり受け入れたりするのではなく、批判的な思考に立って、常に考え、対応していきたいものである。

とりわけ、「緊急事態」などという正体の見えない曖昧な言葉が使われた時には。