2017年3月21日、政府は「組織犯罪処罰法改正」案を閣議決定した。それは、2020年開催を控えた東京オリンピック・パラリンピックを標的にしたテロ対策のためだと言われ、「テロ等準備罪」なる言葉でイメージが作られていった。
しかし、この法律の本質は、犯罪が行われなくても、その準備行為があったと認定されれば犯罪者にされてしまうというものであり、政府に批判的な言論を弾圧することに繋がる悪法であるという反対意見が、法律の専門家からも数多く上げられた。この法律に批判的な市民や学者、法律家、メディアなどは「共謀罪法」と呼んで、法律の危険性を訴え続けた。
あれから4年が経過した今、開催が1年延期された東京大会は、テロではなく、世界中を震え上がらせた感染症の脅威に晒されている。当時の政権は、国内の多くの反対を押し切って採決を強行し共謀罪法を成立させた。そしてその後も、テロ対策やデジタル化の名の下に監視体制を強化し続けている。
しかし、それとは反対に、真の意味で国民の生命・健康と安全を守るための医療体制の強化は放置してきた。その結果として、感染が拡大した地域から、医療現場の態勢がひっ迫しているという悲鳴のような声が上がってきた。同様に、保健所の過重な労働実態から、保健行政の問題が指摘されてきた。
今回の新型コロナ禍が明らかにしたのは、国民の生命・健康と安全を守るために政治がまずやらなければならない基本的な政策は、テロ対策のための監視強化ではなかったということである。
政権が取るべき道を誤らせないために、メディア産業で働く私たちがとるべき態度を、「東京大会開催の障害はテロではなかった」ことから、改めて考えてみたい。
(出版研究室主任研究員・前田能成/『出版労連』2021年7月1日‐1588号より)