出版研究室(原村分室)橘田源二
信濃毎日新聞の書評「本読の道案内」欄で、原村中学校・原村図書館司書の文字が目に留まった。ここ長野県の中部に位置する原村の生活に慣れてきて、図書館の利用者カードを作ったばかりの私である。利用の機会もなかったこと、と孫娘がこの春に入学した原村中学校の司書を兼ねておられる評者である宮坂順子さんの評を興味深く読んだ。
取り上げられていた本は『「走る図書館」が生まれた日』。アメリカで20世紀初頭に荷車に本を乗せた移動図書館を考案した女性司書、メアリー・ティットコムの伝記である。当時のアメリカでは、図書館は誰でも、読みたい人が読みたい時に本を読める施設ではなく、裕福で一定の教育を受けた人だけが利用できた。メアリーが「すべての人に平等に本を届けたい」という信念で、「走る図書館」を普及させた歴史が史実にもとづいて書かれた絵本である。
書評のリードに「平等に本を届けたい」信念と情熱とある。メアリーの一貫した姿勢を伝えている。時代や場所は違っても、司書としての宮坂さんはメアリーと共通した気持ちを持っているのだろうと思えた。まったく立場はちがうが、私は池袋のJ堂まで徒歩10分だった生活から、書店が1軒もない村での生活に一変した。予想と覚悟はしていたもの、この現実は日増しに大きなストレスになっていた。その矢先に「平等に本を届けたい」を目にして、「そうだ!図書館がある」と気づいて、さっそく宮坂さんに原村の読書環境や図書館の様子などをお聞きしたいと電話をした。
宮坂さんは、私の申出を快く受けてくださった。事務室に入ると『「走る図書館」が生まれた日』や、宮坂さんの論文が掲載されている『明日をひらく図書館 長野の実践と挑戦』(青弓社/2013年)、長野日報に寄稿した絵本の書評、地域で取り組まれている図書館教育研究会などのレポートなど多彩なとりくみの記録や資料が用意されていた。
宮坂さんは現在、非常勤職員として原村図書館と原村中学校の司書を兼任していると自己紹介された。そして人口8,000人の小さな村で図書館を設立する運動がはじまった時から関わってきた経緯を話された。1996年の開設当時、日本の村の図書館設置率は13%だったが、原村の住民の熱い声と首長の文化の香り高い村づくりの思いが一体となって「生涯学習の拠点」の必要性を熱く訴えた、と当時を振り返られた。そそて強調されたのは、原村図書館が単独施設として建設されたことである。それまでは村内にそれぞれ1校しかない小学校と中学校には司書の配置はなく、子どもたちの読書環境の整備、充実をしたいとの強い思いがあったという。これが司書としての宮坂さんの原点であり、村民と共に育てる図書館がスタートした。(次回へ続く)