出版の自由を高く掲げて:田島泰彦(元上智大学教授、早稲田大学非常勤講師)

出版という仕事、営みにとって、厳しい時代環境になってきた。

憲法21条は表現の自由の一環として出版の自由を保障しているが、それは出版という形で自由で民主的な市民社会を支え、寄与するためである。出版の自由が本当に意味をもつためには、旺盛な言論、出版活動を展開する前提として、政治や社会に関わる大切な事実や情報が市民社会に提供され、出てくることであり、それを共有した上で、イデオロギーも含む多様な言論が出版の世界で展開され、市民や社会に重要な判断材料を提供することが可能となる。

にもかかわらず、出版を含む言論の前提となる大切な事実や情報が市民社会に出てきにくい構造や装置が立法等で構築されてきた。例えば、秘密保護法である。市民や社会にとって重要な防衛、外交、スパイやテロ防止などの国家の情報が行政機関のトップの判断で特定秘密として指定されて、市民の知る権利や情報公開の及ばない空間が広げられた。事実や情報を十分に享受できす、共有できない出版や言論の活動、それを支える出版の自由は本当に成り立ちうるのかが根もとから問われるべきで、左右のスタンスやイデオロギーの話ではない。プロフェッショナルとしての、仕事の本性に関わる問題だ。

個人情報保護法についても同じような問題をはらんでいる。個人が識別できる情報を個人情報として収集、管理、利用のすべての局面にわたって法的な保護の対象とする立法がつくられたことで、個人情報を収集・管理する公的機関が、「個人情報」の保護を理由に、公務員の不祥事や事件・事故の被害者・犠牲者、医療・福祉・教育に関する情報など公共的な意味をもつ情報が過剰に隠ぺい・隠匿され、いわゆる「匿名社会」が将来することになった。市民社会に大切な情報の一端が出にくくなることで、出版が狭められ、出版の自由の実質が貧しくされかねない。

共謀罪を創設する組織犯罪処罰法改正も出版とその自由に深刻なインパクトを及ぼしかねない。共謀罪とは犯罪の実行行為がなくても犯罪の合意(計画)を犯罪とし、処罰する仕組みだが、それは表現とコミュニケーション、さらにはそれに由来する内心や思想・良心に立ち入り、規制することにほかならず、さらに処罰対象となる計画を探り、確保するために会話や電話などの盗聴を拡大促進し、内偵・協力者の送り込みなど監視を不可避的に加速せざるを得ない宿命を負う。表現の自由やコミュニケーション、内心の自由が脅かされ、市民監視が強められるなかで、自由な出版という仕事は果たして可能なのか。

今後も、本格的な情報・諜報機関の創設を含むもろもろの監視の強化拡大や自衛隊の明記や表現の自由制限条項新設も含む憲法改正の進展など出版活動と出版の自由をめぐってさらに厳しい試練に直面することになるだろう。出版はこの試練に耐え抜くことが可能なのか。そもそも、出版の自由の基盤がこれほどまで脆弱になりつつあることに正面から向き合い、危機を感じているのだろうか。何よりも肝要なことは、市民社会にとって出版とは何であり、それを支える出版の自由とは何かに、あくまでもこだわり、決して譲らないことではないだろうか。

ほかでもなく出版の自由の中核的な担い手は出版関係者であり、組合はその中で重要な役割を果たすことが期待される。その際、出版の自由に関わる論点や問題は政治的イシューやイデオロギーとしてではなく、あくまでもプロフェッショナルな、専門的な、職能的な論点や課題として考えるのが筋だと思う。組合は、出版の自由を高く掲げて統制や規制と抗い、自由で民主的な市民社会に寄与する責務がある。