講談社は日本の縮図~元講談社社員が読み解く『出版と権力』

出版と権力 講談社と野間家の110年 魚住昭著講談社刊

今から60年前、講談社は創業50周年の社史を作った。その時の作業で、関係者を集めての300回を超える座談会、200人に及ぶ訪問取材などによって作られた貴重な資料を残したが、その大半は「50年史」には掲載されなかった。それが、当時の社史編纂担当者の笛木悌治氏が野間省一社長(第4代)の了解を経て残した146巻に上る秘蔵資料である。

この中では、「50年、70年経た時に…この資料が、賢明にして忠実なる後人によって充分活用されることを心から祈ってやまない」と最後に記されていた。そして魚住昭氏がこの秘蔵資料を解き明かす仕事をしたのが本書である。

本書では、講談社に手厳しいことも書かれているとの評も既に紹介されている。例えば第2次世界大戦の戦争協力とその責任について。確かにあの時代、戦争反対を唱えれば企業は潰されただろうし、とても正面から反対といえる状況ではなかった。そして軍部は用紙の統制をちらつかせ、講談社は業界の大整理と統制、プロパガンダの尖兵の役割を担うことで利益を上げていた。

それでも創業者の初代社長は、最初は戦争(当時は日中戦争)に協力したくなかった。しかし内閣情報部参与のメンバーになってからはむしろ積極的な立場で戦争に協力していく。その権力に取り込まれていく様子が側近たちのインタビューから紹介されていく。

戦争中の責任については「戦後、多くの作家たちが戦時中の言動を無かったことにして責任逃れをしようとするなかで、木村(毅/文芸評論家)はちがう道を選んだ。」そこに「第一級の知識人としての誠実さを見る」と魚住氏は評価する。

一方講談社の人々はどう向き合ったのか。「あれは戦争協力ではない、国策協力だった」という空気、言い訳が社史編纂の頃(昭和30年代前半)は優勢だったとみる。私事だが、1973年に新卒で講談社に入社し約40年間在席したが、新入社員教育や社内研修の中で、戦争当時を振り返り負の遺産を共有するといったことも無かった。もっとも、そういったことは各自がやればいいという社風もあるのも事実であるが。

著者は、講談社100年史に記述されている戦争中の責任について、「自分たちが抵抗したとしても歴史の大勢は変わり様がなかった」という言い分を認めながらも「たとえ『微調整』でもできることをするのが出版人の義務」、義務を果たせなかったのなら「その事実を率直に読者の前に明らかにする必要があったのではないか。木村のように。」と厳しく指摘する。なお木村毅は講談社50年史の執筆責任者となる。

 販売などに関わった者として興味深いのは、現在の日本型出版流通システムの誕生についての記述である。1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災。これを記録した講談社の『大正大震災大火災』という書籍がその原型といわれている。

 当時の雑誌協会が震災直後の緊急幹事会で、10月号(通常は9月発売)の雑誌は10月1日発行とし、その日までは大震災に関する記事を載せた雑誌は出さないと申し合わせた。

雑誌でだめなら書籍で出そうというのが講談社の発想。当時の書籍は事前注文による少部数で流通させることを前提にしており、大部数発行の雑誌とは異なるシステムで運用されていた。初刷20万部の書籍を見計らいで書店に送品することは前代未聞であり、取次からは「注文がないのに勝手に送りつけて、書店から訴えられたら困る」と反対されたが、「講談社が全ての責任をもつ」と説得した。そして講談社は紙、印刷の制作部門の会社の協力をとりつけ、取次の懸念事項であった事前注文、送本、荷造り、鉄道便など輸送上の課題を次々とクリアさせていく。そのプロセスが当事者の証言で描かれている。そのようにした結果、初版は完売、その後に増刷し大成功を収めた。これは、日本独特の書籍流通を作るきっかけとなった「事件」といえる。

こうして書籍を雑誌ルートに乗せて流通させることが可能になり、その後同様の方法で流通させる書籍が多数刊行され、これが主流になっていくのだ。

講談社にとって、都合の良いことも悪いことも書かれたこの670ページにもなる分厚い本を、創業110周年記念出版として出す懐の深さは何か。それはその良し悪しに関わらず事実は事実として残し、日本を代表する出版社としての責任を果たさなければならない、という講談社の姿勢だろう。その姿勢はこれからも変わらないと著者はみる。

また著者は、50年史以降の例として『昭和万葉集』と中国人・韓国人のヘイト本を取り上げ、対比させる形で講談社の出版姿勢について、また将来の方向性について問いている。激動の昭和時代につくられた8000首余の膨大な短歌を時系列に収録し、市井の人々の生活感や国民感情をつまびらかにした名著『昭和万葉集』で真摯に世に問う。かたや、多民族をルーツにもつ人たちを、偏見をもってこき下ろす「ヘイト本」のヒットを、社内で大々的に表彰。「売れる本であれば、どんな本でも作れというのか」、というのが著者の意見である。

しかし、そのどちらも講談社の姿であり、別の見方をすれば日本の縮図なのだ。作家や読者も含め、将来、出版界はどちらの方向へ向かって行くのだろうか。講談社は業界に大きな影響力を持つ出版社であるがゆえに、こうした責任を社内の人間は自覚すべきで、その行く末が多くの人から注目されるのは当然のことだろう。

(永井祥一 出版労連北部地協 元副議長日本出版インフラセンター 元専務理事