山村に越して見えた光景(出版研究室から[34])

コロナの渦中、緊急事態宣言の直前に八ヶ岳北麓の山村・原村に転居した。ここを出版研究室「原村分室」として、筆者に課せられたのは先輩たちより寄贈された資料の分類、整理などであった。しかし、東京ナンバー車では近隣の視線を気にした生活を余儀なくされ未着手である。が、この間の地方在住体験はメディアの問題を考える機会になっている。

当初テレビがなく、情報入手はスマホと新聞になる。スマホは検索、新聞は見出しが目に入る。この違いは情報の質と関係することを実感した。地元の信濃毎日新聞は、戦前にファシズムを批判した桐生悠々が主筆だったことで知られている。今、コロナ禍の混乱のなかメディアの役割が問われているが、信濃毎日には悠々の精神を継承しているような記事が多々載る。

テレビの工事は連休明けになった。久しぶりのテレビはコロナ、コロナ……鬱になるのも得心した。ネット、テレビ、新聞と雑誌各媒体の特徴はあるが、知りたいことを検索するネット、井戸端会議のようなテレビ、それらと比較して信濃毎日は地方の視点を交えて国政、県政をチェック、批判と主張を明確にしている。時には社説で解説しているので問題を深く理解できる。メディアの役割が実感できる。

原村は人口8千人、書店はない。村立図書館に司書が配置され、読書推進に取り組んでいる。新聞、雑誌も充実していて都内の図書館になかった『世界』『金曜日』もある。地方の山村に充実した図書館があるのは心強い。隣町に行かなければ買えないのは不便でアマゾン頼みになる。狭い村内はトラック便が何回も行き来し、アマゾンのケースが配達されている。思えば東京のマンションのごみ置き場もアマゾンの空箱が積まれていた。全国共通の風景である。近所の別荘の人たちはテレワーク中である。コロナによる産業動向は原村にいてもみえる。

(出版研究室・橘田源二/『出版労連』2020年7月1日‐1576号より)