「決戦ホンダ書店」(井上ひさし/新潮文庫『言語小説集』所収)

先日、詩人の平田俊子さんが井上ひさしの『言語小説集』紹介の記事を見つけた。以前から、とくにコロナ危機下での安倍首相の言葉の遣い方が気になってしかたのなかった私は、最近「言語」とか「日本語」などのついたタイトルの本を買いあさっている。

そんな時出会ったのがこの文庫本である。書名に「言語」を冠した井上ひさしの本とくればきっと面白いものが詰まっているのだろうと迷わず手にした。すると目次に何だろうと思わせるタイトルの一編があった。「決戦ホンダ書店」である。名著と名画ビデオの登場人物を擬人化させて“実在”のホンダ書店で棚の争奪戦をやるという荒唐無稽の話である。映画「男はつらいよ」の冒頭夢シーンのようでもあり、「不思議の国のアリス」のようでもある。本来この「『本』の本棚」は、一冊の本を紹介するコーナーであるが、書店モノの一作品紹介をお許し願いたい。
ビデオから抜け出したランボーが「現代は映像の時代」と言い、スーパーマンが「時代遅れの活字さん」と挑発する。やや押し込まれ気味の本から抜け出した武者どもが「活字は言葉じゃ」と返し、ジャンバルジャンが「ちょっとの流行りを鼻にかけ、長い歴史を誇る活字を軽んじるとは何事じゃ」と叫ぶ。これで勢いづいた本に対してビデオどもは「古いだけが取柄のガラクタども(略)図書館という名の墓場で永遠の眠りについていろ」の言葉で「決戦の火蓋が切られた」のである。
本とビデオを紙の出版物と電子版に置き換えて空想してみた。今年は井上ひさし没後10年である。もしも彼が今ペンを持ったなら、出版の現状をどのように表現するだろう。そんな想像、妄想を広げてくれる一編でもある。
ホンダ書店の設定にドキッとする。「今では駅前に四階建の垢抜けたビルを構え、一階を店舗、二階をブティック、喫茶室、美容室に貸して家主の真似事」。「本業の書店業に冷たい」息子を思いやる親父。上に引用した「図書館という墓場」という表現も突き刺さる。(小井上ひさし)